こんちゅう

戦後、食生活の変化で昆虫食に嫌悪感を抱く人が増えたが、現在日本の食料自給率は上がる気配を見せず、食料などを外国の輸入に依存しているという現実がある。昆虫ですらも現在減少傾向にあり、日本の食料問題に光は見えない。

私たちはどこまで追い詰められれば食料を選り好み出来る余裕を無くせるのだろうか。

今昆虫食推奨を大声で主張しても振り向く人は少ないように感じる。みんなこの昆虫を食べなくても良い環境に依存しきっていて、それはまるで自分たちが生き残るために人間に飼われることを選択し、野生を捨てた蚕と同じような思考だ。「依存」というのは心地よいものだがこれからの長い人生の中ではあまりにも儚く頼りない。

これからの食生活において、私たちが虫や家畜を飼っているのではなく、その逆で虫や家畜に私たちが飼われているといった方が自然ではないかと私は思っている。

私たちが醜いと蔑んでいる昆虫は、いつか私たちの命を繋いでくれるかもしれないのに、私たちは食べ慣れたものから抜け出せずにいる。

そしてそのことに気づく日は、戦時中のように飢餓の限りを尽くした環境に置かれてからになるだろう。

蛾には、「人間の生と死」という意味も持つ。

私たちがまだ気づいていない歴史の輪廻を、蛾はとっくに知っているからいつも私たちの周りを飛び回って興味深そうに鑑賞しているのだ。

 


「昆虫食」というものを身近に感じるようになったのも、数々のメディアが昆虫食を発信しているからだろう。

しかし、私たちはそこまでだ。

「昆虫食は美味しい、健康被害はない。」

その不確かな知識だけ得て満足している。

その情報のソースを探ることも、事実かどうか確かめようとすることもしない。

食料問題について饒舌な日本人は、どれほどの人が昆虫食を実際に食しているのだろうか。

百聞は一見にしかず、百見は一触にしかずという言葉があるように、私たちもその言葉を重んじるべきだと思う。